国会議事堂、日比谷公園、皇居外苑: 14Sep2019


東京2020オリンピックが予定されていた前年の2019年9月15日、オリンピックの花、マラソンの代表選考レース、
Marathon Grand Championship(通称MGC)が行われました。

その応援の為、観光を兼ねて、二日前から東京へ出かけました。

その初日は、日本橋、 東京スカイツリー 浅草寺 を周り、
二日目は、 築地、浜離宮恩賜庭園 芝離宮恩賜庭園、増上寺、東京タワー、愛宕神社
そして、国会議事堂、皇居外苑と歩きました。

愛宕神社から西へ下り、桜田通りを北上します。

その桜田通りを進んで行くと、
右手に虎ノ門ヒルズ 森タワーが聳え立っています。













桜田通りを北上して行くと、
左手に文科省と財務省が見えてきます。

その文科省と財務省の間の道、三年坂を上って行くと、
左手に霞ヶ関ビルがあります。

霞ヶ関ビルは、
1968年の竣工された地上36階、地下3階、軒高147mの
日本初の超高層ビルでした。



三年坂を上り、
六本木通りの財務省上の交差点を北に渡り、
その交差点から外務省を見たところ。









六本木通りから国会議事堂へ向け進みながら、
国会議事堂を見たところ。










国会議事堂の正門です。

正門に向かって左が衆議院、右が参議院の入口で、
こちらは衆議院の入口です。








その鉄格子の間から、中を見たところ。











国会議事堂を正面から見たところ。

国会議事堂は、
昭和11年(1936)に帝国議会議事堂として
建設されました。

当時は日本一の高さを誇り、
御影石で装われた議事堂は、
白亜の殿堂と呼ばれていました。

中央の搭を挟んで左が衆議院、右が参議院です。

国会議事堂の中央の搭です。
















正門右側の参議院の入口です。











国会議事堂の敷地に沿って、南に進んで行くと、
中央に霞ヶ関ビル、
その左側に霞ヶ関コモンゲートビルが見えます。









国会議事堂の南門です。
衆議院の門です。










その南門の鉄格子の間から、
国会議事堂を見たところ。










国会議事堂の敷地の西側へ周って行き、
国会議事堂、中央の搭を、
南西から見上げたところ。









国会議事堂と道路を隔てた西側には、
衆議院と参議院の議員会館があります。

写真は、参議院議員会館です。








国会議事堂の敷地の西側を北へ進んで行くと、
北西に自由民主党本部のビルが見えます。










国会議事堂の北門です。

参議院への門です。









その北門の鉄格子の間から、
国会議事堂を見たところ。










国会議事堂の正面に戻り、中央の搭を見上げたところ。
















その中央の搭の上部には、
鳳凰と盾をあしらったレリーフがあります。










国会議事堂前の道路を東へ渡り、
国会議事堂をふり返ったところ。










国会議事堂を北東から見たところ。











国会議事堂の東側、国会議事堂から東に延びる並木道の両側には、
国会前庭があります。

その国会前庭の北庭へ入って行きます。

正面に新丸の内ビルディングが見えます。











その国会前庭にある時計塔です。

この時計塔は、憲政の神様と呼ばれた尾崎行雄の業績を記念して、
尾崎記念会館、現在の憲政記念館の建設時に一緒に建設されました。

高さは31.5mあり、三つの面が合わさった塔の形は、
立法、行政、司法の三権分立を象徴しています。










その時計塔の説明です。
















時計塔を東から見たところ。
















時計塔のある場所から東を見ると、
皇居や皇居を囲む内堀、
そして丸の内ビル群を見る事ができます。

中央のビルは、明治安田生命ビルです。







時計塔を南東から見上げたところ。
















時計塔の南側には、日本水準原点があります。

日本の土地の高さ(標高)は、
東京湾の平均海面を基準(標高0m)として測られており、
その高さを地上へ固定する為に設置されたのが
日本水準原点です。






その日本水準原点の
国土地理院の説明です。

















そして、東京都教育委員会の日本水準原点標庫の説明です。
























日本水準原点の近くに設置された電子基準点「東京千代田」です。
















電子基準点「東京千代田」の説明です。

準天頂衛星システム(みちびき)やGPSなどの
衛星測位システムの信号を常時受信し、
地球上の正確な三次元位置を
計測、モニタリングする施設です。









国会前庭を出て、国会議事堂の正面から
東へ伸びる並木道を東へ進んで行くと、
右手に国土交通省が見えてきます。









国会議事堂から東へ伸びる並木道を東へ進み、
内堀通りを桜田門へ向け進みます。

右端が国土国交省で、
中央の電波塔が建っている建物は警視庁です。







中央は警察総合庁舎で、
その向こう左よりの電波塔が建っている建物は
警視庁です。









皇居の内堀、桜田濠です。

東を見ると、
桜田濠の向こうに桜田門が見えます。








桜田濠に沿って北西を見たところ。

桜田濠の向こうに
ホテルグランドアーク半蔵門が見えます。








桜田濠に沿って、桜田門の方向に向かいます。











桜田濠に沿って進みながら、
反対方向、北西をふり返ったところ。

左から、
デジタル庁のある東京ガーデンテラス紀尾井町、
平河町森タワー、JA共済ビルが見えます。






桜田濠に沿って東へ進みながら、
桜田門を見たところ。










そして、反対方向を、ふり返ったところ。











桜田門へ向け内堀通りを東へ進んで行くと、
警視庁があります。










警視庁の正面玄関です。
















その警視庁と桜田通りを隔てた反対側に、
法務省旧本館の赤れんが棟が見えます。










赤れんが棟は、明治21年に着工し、
明治28年に竣工しました。

関東大震災ではほとんど被害を受けませんでしたが、
昭和20年の戦災でれんが壁と床を残して消失し、
昭和25年までに改修され、
法務省の本館として使用されてきました。
そして、平成6年に創建当時の姿に復元されました。




桜田門の手前から桜田濠、西方向を見たところ。











桜田門の説明です。

小田原街道の始点にあたり、
小田原口と呼ばれてました。

桜田門は、
外側の高麗門と内側の渡櫓門の
二重構造からなる枡形城門です。

正式には、
外桜田門と呼ばれています。

そして、この外桜田門に対して、
より本丸に近く
桔梗濠に面した桔梗門を
内桜田門と呼んでいます。







桜田濠を渡る土橋の桜田門橋の先に
外桜田門があります。

外桜田門は、枡形門になっており、
中央左よりに、枡形の外側の高麗門が、
右側には枡形の内側の渡櫓門が見えます。






桜田門橋の西側が桜田濠で、東側が凱旋濠です。

その凱旋濠を見たところ。









凱旋濠です。

凱旋濠の向こう端には、
皇居外苑南側から日比谷公園の西側へ通じる
土橋の祝田橋が見えます。

祝田橋は、明治39年(1906)に
日露戦争勝利記念の凱旋道路開通に際して
架けられたもので、
祝田橋の西側は、凱旋濠と呼ばれています。


外桜田門に向け、桜田門橋を渡ります。

左側が、枡形の外側の高麗門で、
右には、枡形の内側の渡櫓門が見えます。








外桜田門です。

この外桜田門が、徳川幕府の終焉を象徴する大事件、
桜田門外の変の舞台となった場所です。

第13代将軍、徳川家定の後継問題や、黒船来航と、
内憂外患をかかえる中、
時の大老、井伊直弼(彦根藩主)は、
日米修好通商条約を結び、朝廷の反発を買います。
その反発に対して、井伊直弼は、強権を発動し、
安政の大獄と呼ばれる粛清を行ないます。

そして、尊王攘夷派の水戸藩士は脱藩し、
安政7年(1860)、旧暦3月3日に井伊直弼を殺害したのが、
桜田門外の変です。

桜田門橋の上から桜田濠を見たところ。











外桜田門を入る手前、右手にあった
外桜田門の説明です。

寛永年間(1624-44)に建築されましたが、
現存する門は寛文3年(1663)に再建された門が
もとになっており、
大正12年(1923)の関東大震災で破損し
復元されたものです。













その説明の中にあった
外桜田門、内桜田門等、旧江戸城が
描かれた江戸図屏風です。

外桜田門と内桜田門の位置関係を
知る事ができます。













外桜田門の枡形の外側の高麗門を入ります。











高麗門を入ると枡形があり、
枡形の中を右に折れると渡櫓門があります。

この高麗門と枡形、そして、渡櫓門を含めた枡形門が、
外桜田門です。







高麗門を入り、枡形の中から、
高麗門をふり返ったところ。










高麗門を入り、右に折れると
渡櫓門があります。










右に高麗門の一部が見え、
左側に渡櫓門を見たところ。










そして、渡櫓門を入り、
その渡櫓門の内部を見上げたところ。










渡櫓門を入り、
渡櫓門をふり返って見たところ。










渡櫓門をふり返って見たところ。











外桜田門の西側に桜田濠がありますが、
外桜田門の枡形の北側から東に向け、
内堀が続いています。

その内堀端から、西の丸を見たところ。







内堀端から、外桜田門の渡櫓門を見たところ。











外桜田門から東へ進んで行くと、
内堀通りへ出ます。










内堀通りへ出て南へ進むと、
特別史跡 江戸城跡の説明が
ありました。

江戸城は、
長禄元年(1457)に
太田道灌によって
築城されました。
その後、天正18年(1590)に
豊臣秀吉の命で江戸の入った
徳川家康の居城となり、
徳川将軍家の城郭として
整備されました。

現在は、皇居、及び、
皇居外苑となっています。


内堀通りを南へ進むと、日比谷濠、凱旋濠を渡る
祝田橋があります。

その祝田橋を渡りながら、西側の凱旋濠を見たところ。
その凱旋濠の向こうには、
桜田濠に架かる土橋の桜田門橋が見えます。






祝田橋を南へ渡りながら、
祝田橋の袂の皇居外苑の石垣をふり返ったところ。










祝田橋の袂の皇居外苑の石垣です。











祝田橋の上から、祝田橋の東側の
日比谷濠を見たところ。

そして、日比谷濠の向こうに、
DNタワー21が見えます。







中央がDNタワー21です。

DNタワー21の手前には、米軍進駐時には
GHQ本部が置かれた旧第一生命館があり、
マッカーサー総司令官室が保存されています。

右にはザ・ペニンシュラ東京が見えます。





祝田橋を渡り、交差点の南東に
日比谷公園があります。

日比谷公園の祝田門から中へ入ります。








日比谷公園に入ったところへあった園内の案内地図です。




























日比谷公園へ入って行くと、
東に東京ミッドタウン日比谷が見えます。















日比谷公園の祝田門から入って行くと、
正面に三笠山があり、
その三笠山の上から東を見たところ。

園内にはテニスコートがあります。













その三笠山を反対側、南に下りて、
三笠山をふり返ったところ。

三笠山は、
日比谷公園造成時の池などを掘った
残土で造られた人口の山で、
当時は三つの傘を伏せた形に似ていたようです。
その後、テニスコートの造成等の整備で、
山の形は変わったようです。



その三笠山の南側には、自由の鐘(Liberty Bell)があります。

この自由の鐘は、1776年に米国の独立宣言に際し、
打ち鳴らされた鐘の複製です。

ダグラス・マッカーサー将軍の提案により、
連合軍総司令官リッジウェイ大将を通じて、
1952年のサンフランシスコ平和条約発効の年に、
日本新聞協会に贈られ日比谷公園内に設置されました。

塔の碑文には、以下のように刻まれています。

  DEDICATED TO YOU, FREE CITIZEN IN A FREE LAND
  (自由な国の自由な国民に捧ぐ)



日比谷公園内を南へ進んで行くと、雲形池があります。

その雲形池の中には、鶴の噴水があります。









その鶴の噴水です。

翼を広げ天を仰ぐブロンズ製の鶴のくちばしから、
水が噴き上がっています。








雲形池の鶴の噴水と、その向こうに、
東京ミッドタウン日比谷を見たところ。















雲形池の南には、野外大音楽堂があります。

催物階催時を除き、一般公開はされてなく、
この日は、SKAViLLE JAPAN 2019が
開催されていました。







野外大音楽堂の東側には、
日比谷公会堂があります。

日比谷公会堂は、
昭和4年(1929)に竣工した日本で最初の
本格的コンサートホールです。

国重要文化財の指定を目指して改修工事予定ですが、
トイレ不足問題で現時点着工ができてない
という事です。


日比谷公会堂の前を周って、北へ向かいます。

日比谷公園の芝生広場を見たところ。

たくさんの白いテントが張られており、
催物が行われています。






日比谷公園の東側、日比谷通りを挟んだ反対側に
日比谷U-1ビルがあります。

この日比谷U-1ビルと、北隣の帝国ホテルとの境の塀に
鹿鳴館跡のプレートがあります。

鹿鳴館は、当時の外務大臣、井上馨が
不平等条約改正を早める目的で計画し、
明治16年(1886)に完成しました。
開館後は、政府や貴族が外国の使臣や紳商を招待し、
連日、園遊会や舞踏会等の催しが行われ、
鹿鳴館時代と称されました。





中央は、日比谷U-1ビルの隣の帝国ホテルで、
その左に東京ミッドタウン日比谷が見えます。










中央に東京ミッドタウン日比谷、その下、手前は日生劇場です。
















日比谷公園内に戻り、芝生広場を見たところ。

芝生広場では、
和牛の文化を守る日本最大級の和牛を味わう食フェス
東京和牛ショーが行われていました。

左端には、日比谷公会堂が見えます。





噴水広場です。

たくさんの人達が和牛を楽しんでいます。









日比谷公園の第一花壇を、南から見たところ。

手前に、丸の内二重橋ビル、
その向こうに明治生命ビルが見えます。








第一花壇の四隅の小さな花壇です。











第一花壇と、その向こうの東京ミッドタウン日比谷です。
















第一花壇と、東京ミッドタウン日比谷です。











日比谷公園の北東の隅には、心字池があります。

日比谷公園の北東角にある日比谷交差点の辺りは、
日比谷御門があった場所で日比谷見附と
呼ばれていました。

その日比谷見附の石垣の西側は濠で、
今では心字池として残されています。




心字池の説明です。











日比谷公園の北東角にある有楽門を出て南を見ると、
東京ミッドタウン日比谷があります。















日比谷公園の有楽門の前の
日比谷交差点を北に渡ると、
日比谷濠が広がっています。









その日比谷濠を、北へ向けて見たところ。











右側は、米軍進駐時には
GHQ本部が置かれた旧第一生命館で、
マッカーサー総司令官室が
保存されています。








その旧第一生命館の北側には、
帝国劇場があります。

帝国劇場は、明治11年(1878)に、
近代国家と肩を並べるべく、
財界の重鎮を中心に設立された
日本初の本格的な西洋式劇場です。
老朽化で、1966年に建て替えられています。




日比谷濠に沿って北へ進みます。

正面には、濠を渡る土橋の馬場先門橋が見えます。









日比谷濠に沿って進みながら、
馬場先門橋を見たところ。










日比谷濠に進んで行くと、
右手に明治生命館があります。
その背後のビルは明治安田生命ビルです。

明治生命館の竣工は、昭和9年(1934)で、
戦時中の金属回収、東京大空襲、
戦後はGHQに接収される等、
昭和の激動を乗り越えてきました。




日比谷濠に架かる土橋の馬場先門橋から南、
日比谷濠を見たところ。

左に東京ミッドタウン日比谷が見えます。








日比谷濠の東側には、
帝国劇場、DNタワー21、
東京ミッドタウン日比谷が見えます。









馬場先門橋を西へ渡り、皇居外苑への入口に、皇居外苑案内の地図がありました。































皇居外苑の南東の一角に、
楠木正成公の銅像があります。










楠木正成公の銅像です。











楠木正成公の銅像です。

楠木正成公が、正慶2年(1333)に
隠岐の島から戻った後醍醐天皇を
出迎えた時の姿という事です。







楠木正成公の銅像の横の楠木茶房に、
コカ・コーラの地域限定ボトル、東京ボトルを売ってました。

その東京ボトルを買って、一休みです。













楠木正成公の銅像から西へ進んで行くと、
内堀があります。

その内堀端から西を見ると、二重橋が見え、
その向こうに伏見櫓が見えます。

二重橋は、皇居外苑から皇居正門へ渡る正門石橋と、
その奥、陰になって見えませんが、宮殿へ渡る正門鉄橋の
二つの橋を総称しています。

厳密に言うと、二重橋は奥の橋を指し、
かつて、20mの高さの橋脚を立てる事は不可能で、
まず、下方に橋脚を立て橋桁を渡し、
更にその上に橋脚を立て橋桁を渡す二重構造の橋になっていた事から二重橋と呼ばれていました。

その二重橋の向こうに見える伏見櫓です。

この伏見櫓は、伏見城の櫓を解体し、
移設されたと伝えられています。








左端が皇居正門、正面に
正門へ渡る正門石橋が見えます。

正門石橋は、江戸時代は土橋でしたが、
明治20年(1887)に現在の石造二連アーチ橋に
建て替えられました。






正門と二重橋の説明です。


























正門石橋越しに見た伏見櫓です。
















正門石橋と、皇居正門です。











右端に皇居正門が見え、その下に続く内堀です。

この内堀は、桜田濠から続いています。









皇居外苑から皇居正門を見たところ。











皇居正門です。

江戸時代は、この門の前に高麗門がありましたが、
明治21年(1888)の明治宮殿造営の際に、
高麗門は撤去されています。







皇居外苑から、南東を見たところ。

中央に東京ミッドタウンが見えます。

その左側に、ザ・ペニンシュラ東京、
左端にDNタワー21が見えます。

右に見える赤白の鉄塔は、
東京電力本社ビルの物です。



皇居外苑から、北東を見たところ

右側の2本の高いビルは、
丸の内ビルディングと新丸の内ビルディングです。

左よりのビルの正面が湾曲した面のビルは、
パレスホテル東京です。





皇居の二重橋の前の辺りから、
坂下門へ向け歩きます。










坂下門の辺り、内堀と石垣を見たところ。

二重橋の下から続く内堀は、
二重橋濠と呼ばれています。








坂下門です。

江戸時代には、高麗門、枡形、渡櫓門からなる
枡形城門でしたが、
明治18年に高麗門が撤去され、
明治20年(1887)に渡櫓門の角度を90度変えて
建て直されました。





坂下門の説明です。


















坂下門を正面から見たところ。











その坂下門の奥に、宮内庁の建物が見えます。











坂下門の北側の内堀です。

この辺りの内堀は、蛤濠と呼ばれています。









皇居外苑の坂下門前から、
中央に東京ミッドタウンを見たところ。

その左側に、ザ・ペニンシュラ東京、
左端にDNタワー21が見えます。

右に見える赤白の鉄塔は、
東京電力本社ビルの物です。




坂下門から蛤濠に沿って、東に進み、
蛤濠が北へ折れる角から、
北を見たところ。









その角から、西を見たところ。

蛤濠の向こうには、
緑色の屋根の宮内庁が見えます。








蛤濠です。

中央に坂下門、
その右側奥に宮内庁が見えます。








蛤濠越しに見た坂下門です。











坂下門です。











坂下門から東へ、
そして、北へ蛤濠に沿って進んで行くと、
桔梗門があります。

桔梗門は、慶長19年(1614)に造られた門で
正面に高麗門があり、高麗門を入ると枡形があり、
枡形の中を右に折れると渡櫓門がある枡形城門です。





桔梗門は、皇居一般参観以外、
普段は通る事ができません。










桔梗門の説明です。

桔梗門は、
最初に江戸城を築いた
太田道灌の時代に、
この近くに泊船亭があった
と伝えられ、
道灌の家紋の桔梗紋に
由来します。

また、桜田門外の変の
舞台となった外桜田門に対して、
内桜田門とも呼ばれています。

桔梗門の前から東、桔梗濠を見たところ。

石垣の上に建つ二重櫓は、桜田巽櫓です。

江戸城本丸の東南、辰巳の方向にあることから
巽櫓と呼ばれています。






桔梗濠端から、桔梗門を見たところ。

中央が高麗門で、その右に渡櫓門が見えます。

また、高麗門の左側には、土橋の桔梗門橋が
桔梗門の高麗門へ向けて伸びています。






桔梗濠越しに、桔梗門を見たところ。

中央左側が高麗門で、右側が渡櫓門です。









桔梗濠に沿って東に進み、
桜田巽櫓を南から見たところ。

城の隅角に造られた
監視と防御を目的とした隅櫓ですが、
桜田巽櫓は江戸城で唯一現存する隅櫓です。






桜田巽櫓の南側から、桔梗門を見たところ。











桔梗濠越しに桜田巽櫓を見たところ。

左側は桔梗門です。









桜田巽櫓です。

現在の建物は、関東大震災で損壊しましたが、
解体し復元されたものです。








桜田巽櫓の前から、桔梗濠を見たところ。











桔梗濠の東側、内堀通りを東へ渡ると、
和田倉噴水公園があります。

和田倉噴水公園の背後のビルは、
左がパレスホテル東京で、
右が日本生命丸の内ガーデンタワーです。






和田倉噴水公園は、
昭和36年の明仁皇太子ご成婚を記念し
創建された大噴水を、
平成5年の浩宮皇太子ご成婚を機に
継続と新たな発展をテーマに再整備し、
平成7年に完成しています。






和田倉噴水公園の噴水です。











この噴水のテーマは以下です。

  球体噴水(モニュメント)・・・永遠

水が形づくる球体。それは地球。それは心。
生きとし、生けるものの永遠の営みを表します。






和田倉噴水公園です。











和田倉噴水公園の北東の一角に、
和田倉門跡の石垣が残ってます。

和田倉の名は、海の名称「わた」に由来し、
日比谷の入り江が、ここまで及び、
その入江に倉がならんでいたので、
和田倉と呼ばれるようになったようです。










和田倉噴水公園です。











大噴水のテーマは以下です。

  大噴水・・・再生

鏡のような水面の静、ほとばしる水の動。
これまでの姿を活かして再生された大噴水は、
今を映し、歴史を語ります。





和田倉噴水公園を南に出ると、
東西に走る行幸通りがあります。

その行幸通りを東へ進むと和田倉濠があり、
石垣が残っています。







行幸通りを東へ、和田倉濠を渡りながら、
石垣をふり返って見たところ。










和田倉濠と石垣です。











和田倉濠を、北を向いて見たところ。

和田倉濠に架かる和田倉橋が見えます。

更に、和田倉濠の向こうには、左にパレスホテル東京、
右に日本生命丸の内ガーデンタワーが見えます。






和田倉濠を渡ったところにある
元宮城和田倉門守衛所です。

行幸通りは、大正12年、関東大震災復旧事業で
濠を埋め立てて造られました。

当時、ここが皇居の入口に当たり、行幸啓の折に、
歩哨が立った場所と考えられています。

安山岩造りで銅板葺きの屋根に夜間照明も
つけられています。

行幸通りと交差する日比谷通りを渡ると、
東京海上日動ビル本館があります。

東京海上日動ビル本館の南西角に、
くぐりえびす像があります。
台座に彫られた28.5cmの隙間をくぐり抜けると、
幸せになれるそうです。





行幸通りを東へ進んで行くと、東京駅です。

東京駅は、大正3年(1914)に開業し、
丸の内駅舎は日本の近代化を担う
首都東京に誕生した中央駅でした。
そして、平成24年(2012)に
丸の内駅舎は創建当時の姿に
復元されました。




東京駅 丸の内駅舎です。

右側、背後に立つビルは、
グラントウキョウサウスタワーです。








東京駅 丸の内駅舎を正面から見たところ。

中央より左側、背後に立つビルは、
グラントウキョウノースタワーです。
その左側のビルは、
丸の内トラストタワー本館です。






東京駅 丸の内駅舎です。











東京駅 丸の内駅舎です。











東京駅 丸の内駅舎です。











東京2020オリンピック競技大会 開会式まで
あと何日何時間何分の表示です。















東京駅 丸の内駅舎の北ドームの天井です。

ドームの天井の八角コーナーには、
左を向く勇猛な鷲、
両翼を広げると約2.1mの大鷲のレリーフが
飾られています。






ドームの下の8ヶ所のコーナーには、
干支の方位に従って十二支の内、
八支の彫刻が円形の灰緑色をバックに
配置されています。













東京駅 丸の内駅舎の北ドームの内部です。
















東京駅の東側へ周り、日本橋口を出たところ。











東京駅の日本橋口から東へ、外堀通りを渡って、
さくら通りへ入ります。










さくら通りを東へ進んで行くと、
日本橋 髙島屋があります。

日本橋 髙島屋は、
昭和8年(1933)に現在の場所にオープンし、
増築を繰り返し、現在では重要文化財に
指定されています。





さくら通りの東京駅側の入口に戻ります。

この日の夕食は、さくら通り入口にあった
名代 富士そば 八重洲口店で食べました。









食べたのは肉富士そば、500円でした。

平成25年(2013)にオープンした
名代 富士そば 八重洲口店は、
残念ながら、令和2年(2020)に、
東京駅八重洲口再開発の為、
閉店しています。







この後、ホテルへ入って、翌日のMGC応援の為、早く就寝しました。





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