唐招提寺: 02May2018



五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。

初日は、
興福寺東大寺春日大社新薬師寺を周り、二日目は、薬師寺、唐招提寺へ行きました。

 
薬師寺から北へ向かい進んで行くと、正面に小さな門のある土塀に
突き当たります。
ここを右に(東に)折れ進んで行く。






















土塀の先に、唐招提寺 南大門が見えてきます。

唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山。

多くの苦難の末、来日を果たした鑑真和上は、東大寺で5年を
過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地を下賜されて、
759年に戒律を学ぶ人達の為の修業の道場を開きました。
それは、「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まり
ました。
現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える
貴重な伽藍となってます。







南大門。

1960年に天平様式で再建されました。















5間の中央に3扉とする切妻造りの建物です。

















南大門を抜けると、正面に金堂が見えます。

今日は天気が悪く、ポツリ、ポツリと雨が降り出しました。















南大門を抜けたところにあった唐招提寺境内案内図。


































正面に金堂を見たところ。

金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物。

外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に
狭くなり3.3m)、奥行き四間の寄棟造りである。
また、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先
(みてさき)と呼ばれる形式で、建立年代を示している。










金堂へ向かいながら、南大門をふり返ったところ。

















金堂。

堂内には、中央に本尊 廬舎那仏座像、向かって右に薬師如来立像、
左に千手観音立像が安置されており、いずれも国宝である。














金堂の屋根の西側の鴟尾(しび)。

現在の鴟尾は、2000年からの修理の折りに取替えられた物で
それまで使用されていた旧鴟尾は、その形状から奈良時代後期の
製作と推定され国宝に指定されている。













金堂の屋根の東側の鴟尾。
避雷針の上に小鳥がとまっている。

この鴟尾も、取替えられるまで使用されていた旧鴟尾は、
鎌倉時代の銘が入っており、国宝になっている。


鑑真和上を日本へ招く為に、唐に向かった留学生の日本へ戻る
までの苦難を描いた井上靖の小説「天平の甍(いらか)」の題名は、
これらの東西の両鴟尾を指している。








金堂前の石灯籠。
























金堂の軒下。























金堂の基壇上から、金堂前の石灯籠、更に向こうの南大門を
ふり返ったところ。

















金堂の中を見学し、金堂の東側に出る。

金堂の基壇の上から、鼓楼、礼堂を見たところ。















金堂の基壇から下りて、礼堂の東側へ行って見る。

礼堂の東側には、経蔵(右)と宝蔵(左)がある。

経蔵は、新田部親王邸の米蔵を改造したもので、
唐招提寺で最も古い建造物で、日本最古の校倉です。

宝蔵は、唐招提寺創建にあわせて建立された。
経蔵よりひと回り大きい。









手前が経蔵。

















そして、金堂をふり返ったところ。

右が礼堂、正面の木の陰に金堂。















礼堂(らいどう)。

礼堂は、南北19間の細長い建物で、南側8間が礼堂、
北側10間が東室、その間の1間は馬道(めどう)。

礼堂は、西側に隣接する鼓楼に安置された仏舎利を礼拝する
為の堂で、内部に釈迦如来立像、日供舎利塔(にくしゃりとう)を
安置している。










礼堂の入母屋の破風。

















礼堂の南側から、左端が金堂、右端が礼堂、
その向こうに鼓楼、更に向こうに講堂を見たところ。
















金堂の北側に位置する講堂。

平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもの。
外観は平屋の入母屋造りで、現在の姿は鎌倉時代の改造による
ところが大きい。

天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建造物として貴重である。

講堂内部には、鎌倉時代の弥勒如来坐像と、奈良時代の持国天、
増長天立像等、安置されている。








右は講堂、中央左よりに鐘楼が見える。

















左に講堂、中央右よりに鼓楼。

















金堂を北から見たところ。

















鼓楼。

金堂と行動の中間の東側に位置する。

名称は鼓楼ですが、現在は鑑真和上が唐より持って来た仏舎利が安置されており、
舎利殿とも呼ばれている。



















講堂内を見学後、外に出て、講堂の基壇上から東室を
見たところ。

礼堂の北側10間が東室。














中央の通路は馬道(めどう)、左側は東室、右側は礼堂。

















東室と講堂の間を北に進むと開山堂がある。

開山堂は元禄時代に徳川家歴代の御霊殿として建立された。
その後、明治14年(1881)に鑑真和上の尊像を安置する為、
現在の場所へ移築されている。

鑑真和上像が御影堂へ移された後、本願殿と呼ばれ、覚盛上人、
聖武天皇、徳川家康が祀られていた。

しかし、本願殿の老朽化が進み、その改修工事を機に、年間を
通じて鑑真和上を拝観できるよう「御身代わり像」を製作し、
開山堂として、2013年より「御身代わり像」を公開している。






境内の北西に、醍醐井戸がある。

















醍醐井戸。

唐招提寺創建時に、鑑真和上が自ら掘ったと伝わる井戸である。

醍醐の名は、仏教において、5段階の内、最上の味を示す。
かつては、非常に清らかでおいしい水が湧き出ていたと考えられる。












醍醐井戸を南へ行くと、西側に戒壇がある。

















戒壇の前には蓮池があり、この時期、菖蒲が咲いていた。

















戒壇。

僧となる授戒が行われる場所。

創建時に築かれたが、中世に廃され、その後、五代将軍
徳川綱吉の母、桂昌院の寄進により、再興されたものの
火災により、建物は失われた。

現在は、3段の石壇のみが残り、その上に1980年に
インド・サンチーの古塔を模した宝塔が築かれた。








境内の北側、御影堂供華園で見た瓊花(けいか)。

瓊花は、鑑真和上の故郷、江蘇省揚州市の名花で、ガクアジサイに
似た白い可憐な花を咲かせます。
そして、瓊花は種子では増えず、接ぎ木でしか増やす事ができない花。

隋の皇帝 煬帝がこの花を愛し、それ以来、門外不出となっている。

現在、花を咲かせている瓊花は、鑑真和上遷化1200年の1963年
に記念事業の一環として、中国仏教協会から贈られた一株の子と
言う事だ。

























瓊花(けいか)。

















修理工事中の御影堂(重要文化財)。

建物の地盤沈下が深刻で、「曳家(ひきや)」と言う方法で、
建物を解体せずに移動させ修理工事を行っている。














御影堂の説明板。

御影堂は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で、明治以降は、県庁や
奈良地方裁判所の庁舎として使用されていた物を1964年に移築復元し、
国宝 鑑真和上坐像をお祀りしていた。

現在は修理事業の為、鑑真和上坐像は新宝殿へ遷座している。


















唐招提寺境内
案内図。



























開山堂を北西から見たところ。

ここから入って、鑑真和上 御身代わり像を拝観できる。















次は、開山堂から東へ、開山御廟へ向かう。
























土塀と門が見えてきた。
















この門を中に入る。

























堀に架かる橋を渡る。

















橋を渡りながら、北西を見たところ。

















橋を渡りながら、北東を見たところ。

















正面に開山御廟 鑑真和上の墓所がある。

















開山御廟を出て、礼堂の東側を戻る。

















左は宝蔵、右の奥に経蔵。

















雨が次第に強くなってきた。
この後、傘をさして、垂仁天皇陵へ向かう。



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