垂仁天皇陵: 02May2018



五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。

初日は、
興福寺東大寺春日大社新薬師寺を周り、二日目は、薬師寺唐招提寺、その後、垂仁天皇陵へ行きました。

唐招提寺を出て、西へ近鉄樫原線を越え、線路に沿って北へ
向かいます。
 
こんもりとした小山が見えてきました。

垂仁天皇陵です。










垂仁天皇陵の環濠に出ました。

遥拝所への入口です。

但し、「みだりに域内へ立ち入らぬこと。」と注意書きがあります。

入って良い物か迷いましたが、お参りすると言う理由で
入らせて貰いました。








その入口脇にあった石標。
木の陰になって、垂仁天皇菅原伏…までしか読めません。
後で調べたら、垂仁天皇菅原伏見東陵が正式な名称のようです。

また、写真の右方に、環濠の中に浮かぶ小さな小島が見えます。
その小島は、田道間守命塚。

田道間守命(たじまもりのみこと)は、垂仁天皇より、常世の国から
非時香果(ときじくのかぐのみ)を持ち帰るよう命を受け、探しに行く。
そして、持ち帰った時には、垂仁天皇は既に崩御されており、
田道間守命は悲嘆にくれて、そのまま亡くなりました。
その田道間守命が、この小島に祀られています。

非時香果は、時を選ばず(非)香る果実を意味し、橘を指す。

この故事から、御所には、「右近の橘」が植えられるようになったとの事?。


遥拝所への道を進んで行きます。

その道を挟んで、環濠と反対側にも池があり、その池の中を
のぞいて見ると、亀が泳いでいました。












遥拝所です。

垂仁天皇陵は、前方後円墳で、方墳側(南側)中央に遥拝所がある。













遥拝所を出て、陵を見ながら環濠に沿って北へ向け歩く。

陵の手前に浮かぶ小島は、田道間守命塚。













歩いて行くと、陵の木々が、何かが垂れたようにグレーに
染まっている箇所がある。














よく見ると、アオサギをはじめ、サギ類のコロニーになっている
ようです。














これは、垂仁天皇陵 飛地ほ号と立札が立ってました。

かつて、陪冢(ばいちょう)、または、陪塚と呼ばれる主人
の死に従って葬られた近親、従臣の墳墓のようです
を指していた


しかし、垂仁天皇は殉死の風習を廃止し、その代わりに
埴輪が使用されるようになったと言う事だ。


よって、陪塚とは、大型古墳に近接する小規模古墳で、
必ずしも殉葬者だけでなく、大型古墳の埋葬者の副葬品を
埋納する為に築造されたケースもあるようだ。






円墳側に回り込みながら、陵を見たところ。















 















円墳側(北側)中央辺りから、陵を見たところ。















 















まだまだ、奈良を歩いて回りたい思いは、やまやまだが雨が強くなり、この度の一泊二日旅行を終えて帰る事に。
また来てみたいと思う。



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